2012年3月

津波の教訓を未来に残す「津波記憶石」第2号が気仙沼市に

市立小泉小学校敷地に、高さ4.3m、総重量14トンの「津波の教え」

全優石の「命の復幸計画」が順調に進展


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高さ4.3m、総重量14トン、四国・愛媛で採掘された巨大な自然石が津波の教訓を未来永劫に語り継ぐ。

東日本大震災での津波の事実と教訓を後世に伝えるとともに、亡くなられた方々の慰霊の気持ちを込めた「津波記憶石」第2号が、気仙沼市の市立小泉小学校(宮城県気仙沼市本吉町平貝63)の敷地に建立される。大震災1年目の3月中旬完成を目指し準備が進められる「津波記憶石」は、2011年12月初旬に岩手県釜石市の根浜海岸に建立された第1号に次いで2番目。地区一帯を見渡せる高台に、未来に向かって「津波の教え」をこんこんと説く。

 この計画は北海道から沖縄まで、全国の優良石材店約300社で構成する墓石業者の全国組織「一般社団法人 全国優良石材店の会」(略称・全優石、会長・吉田剛、事務局・東京都品川区上大崎3-8-5)が中心になって進める「命の復幸計画」。最終的には岩手、宮城、福島など津波被害を受けた沿岸部500kmに500石碑の建立を目指す。

小泉小学校に建立される石碑は、気仙沼市からの希望で決まった。釜石市の第1号建立のニュースを知った市長からの1本の電話からスタートした。手を挙げたのは、全優石加盟社で自社採石場を持つ愛媛県今治市の株式会社青山石工房、愛媛県の特産品である大島石を産出する。今治で碑文などを彫刻し、大型トレーラーで気仙沼まで運ぶ計画だ。また施工では、地元で津波の影響を受けなかった株式会社佐藤石材工業が協力する。

石碑は掘り出した原石を成型、研磨などを行わず、無骨なままの状態で碑文を刻む。「津波記憶石のために生まれてきたような石」だと、関係者は語る。高さ約4.3m、底辺2.85m、将棋の駒のような5角形の自然石に、大きく「津波の教え」の彫刻。上方には直径50cmの丸い穴が穿たれる。海に向いたその穴は津波で亡くなられた人々の窓であり、未来への窓でもある。また「未来に伝えてほしい」で始まる、地元小泉地区の人たちが書いたメッセージが刻まれる。さらに第1号と同様に、ステンレスに刻まれたQRコードが貼り付けられ、訪れた人が携帯電話で読み取るとホームページにリンク、津波前の地区や津波の様子、そして未来に伝えるメッセージなどを見ることができる。今回のデザインは、地元の協力を得ながら全優石の「命の復幸計画」委員会が行った。

建立場所は気仙沼市の小泉小学校の敷地(駐車場の一角)。小泉地区は、死者40人、行方不明者1809人、被災世帯322世帯、全半壊568世帯が被害を受けた。高台の小泉小学校にも津波が押し寄せたが被害は免れた。その校庭の一角に建てられる。標高約25m、津波はこの下3mまで押し寄せたという。この場に立つと、小泉地区を180度見渡せる格好の立地だ。


碑文に刻まれる小泉地区の人たちが書いたメッセージ
未来の人々に
二〇一一年三月十一日 午後二時四十六分
東日本大震災が起こり
大津波が太平洋沿岸に襲来した。
気仙沼市小泉地区は大被害を受け
多くの命と家を失ってしまった。
学んだことは「地震があったら津波がくる」
ともかく上へ上へと逃げること。
「てんでんこに逃げよ」
その教えを伝えたい。

図面
巨大な大島石の原石
津波記憶石のCG

完成した津波記憶石

画像(GIF画像)をクリックすると解像度の高いJPEG画像が表示され、ダウンロードできます。

気仙沼市立小泉小学校校庭 津波記憶石の建立は以下によって進められる
寄贈:全優石、協力:気仙沼市、気仙沼市小泉地区振興会連絡協議会、協賛:ミサワホーム、ボンド商事、青野岩夫、浅葉克己、日本パウル・クレー協会、スイスパウル・クレー協会、デッサウ・バウハウス財団、製作・施工:愛媛 青山石工房、施工:佐藤石材工業、デザイン:起案家

参考:「命の復幸計画」津波記憶石の建立
震災以来全優石では、墓石、記念碑、慰霊碑など、長く後世にメッセージを伝える石材のプロ集団として何か復興のお手伝いをできないか、被災された方々の心の拠りどころになるようなミッションは何かを検討してきた。まず最初に取り組んだのがボランティア「東日本大震災お墓修復支援隊」。2011年6月から全国の石材店が被害を受けた墓地の修復に資材を持ち込み、手弁当で支援してきた。
今後の課題は失った多くの命を慰霊するとともに、決して忘れてはならない記憶を子々孫々に伝えることではないかとの結論に至った。

今回の震災では、先人から受け継いだ教訓を守ってきたことで集落ごと被害を免れた地域がある。岩手県宮古市の姉吉(あねよし)地区もそのひとつで、「此処より下に家を建てるな」の津波石で話題になった。これがヒントになり「津波記憶石」計画が生まれた。ウオーターラインや人々の目に付きやすい場所に行政や地域住民の要望と協力を得ながら「津波記憶石」を建てることで、「命の記憶石」として永く後世に語り継いでいってもらいたいとの願いだ。

「津波記憶石」のデザインは著名なデザイナー、浅葉克己さんが中心になり国内外の一流デザイナーに協力を呼びかけ、アート性も重視する“アートでつなぐ”「津波記憶石」となる。また地元の子供たちや学生、一般がデザインした「津波記憶石」が建立されるケースもある。立地は津波到達点だけでなく、多くの人が集まり目に付きやすいポイントにも建てられる。そこでは逃げる方向や、その場所より何メートル上に津波が到達したかを警告する碑文が刻まれる。到達点も大事だが、何よりも多くの人の身近な場所で目にすることに意味がある。

石材提供や石材加工、建立施工などは全優石が支援する。建立地は市や町、村と相談、さらに候補地の住民の了解を得た上で決めていく。できるだけ多くの「津波記憶石」を建立していくために、全優石加盟店での支援金募集や、企業・団体・個人からの寄付や支援を受け付ける。浅葉克己氏デザインのポスターを販売し、その収益金を支援金として活用するプランも進んでいる。このポスター販売には、ミサワホーム株式会社、スイス パウル・クレー協会、日本パウル・クレー協会、デッサウ・バウハウス財団、浅葉デザイン室が協力、その他ボンド商事などから支援を取り付けている。


参考:岩手県釜石市の根浜海岸の第一号津波記憶石
根浜海岸の第一号「津波記憶石」は、浅葉克己さんが嚆矢となってデザインした。ほぼ長方形、高さ270cm、幅70 cm、奥行き70 cmの御影石に、漢数字で二千十一をデザイン化、その脇に3.11の算用数字が刻まれる。北海道の全優石加盟石材店(山崎石材工業)で加工された碑文には「ともかく上へ上へ逃げよ。てんでんこで逃げよ。自分を助けよ。この地まで、津波が来たこと そして、裏山へ逃げ 多くの人が助かったことを 後世に伝えてほしい。」と刻まれている。また石碑にはステンレスに刻まれたQRコードが貼り付けられ、訪れた人が携帯電話で読み取るとホームページにリンク、津波前の街や津波の様子、そして未来に伝えるメッセージなどを見ることができる「IT津波石」でもある。

(注記:てんでんことは、三陸地方で言い伝えられている言葉で、てんでばらばらの意味。津波の際には親や兄弟にも構わずにとにかく逃げろ、そうすることで一家全滅を逃れることができる、という意味合いを持つ。そうでもしないと逃げ切れないという、津波から避難することの難しさを示している。)


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