「全優石ニューデザインお墓写真コンテスト」アーカイブ(1995年〜2006年)



1995年 第1回全優石ニューデザインお墓写真コンテスト

☆☆ ニューデザイン大賞

ゲレンデにシュプール

名前:山本 久子

住所:東京都江戸川区

家族全員、山が好きでみんなスキーをしている。亡くなったお父さんはスキーの指導員の腕前であった。娘のスキー仲間の石屋さんに自由な墓地を建てようとアドバイスされ、山の形、ピステ、斜面に描くシュプールと楽しみながらどんどんイメージが膨らみ、何回も打ち合わせをしながら山の斜面に2本のシュプールとなった。おまけに香炉までも山のロッジ風で、煙突から煙が出る仕組み。シュプールは、現場まで行って自分でラインを描いた。

1996年 第2回全優石ニューデザインお墓写真コンテスト

☆ ニューデザイン大賞

墓参ついでに「パチッ!」の碁盤型

名前:杉本 孝一(68才)

住所:神奈川県横須賀市

私は68才。長年のサラリーマン生活を定年退職し、現在、趣味と実益をかねて囲碁将棋クラブを営んでおります。だいぶ前からですが、横浜市立上郷町横浜霊園に墓園を持っておりました。
自分達が入るのだからとサラ地でそのままにしておいたところ、霊園より手を入れてほしい、まわりだけでも良いからとの話があり、どうしたものか?と迷っていました。しかし、いずれ自分が入ることを考えてみることにした。
そこで夢を見た、夢で終わるかと思ったお墓はどうだろう。家族に相談したら皆OKです。本当の碁盤、ゴケ、石、実寸法(10寸)で作ろうと思ったのが吉日。早速、霊園に相談したところ、石材店さん、頭をかかえていました。いろんな人、いろんな場所で、調べてやってみましょうと話が進みできたお墓です。白と黒の石を回りに置きました。夢が現実となり、もう思い残すことなく、別世界に行っても好きな碁が打て、そして新しい友が出来るのではと思うと晴れがましい気持ちになれます。
私共家族 私は囲碁6段、将棋5段。妻は初段、娘夫婦も指します。
今は孫3才が白と黒の石をきれいに並べて遊びます。お墓参りの時に私と孫が指している風景の写真も同封します。


☆ ニューデザイン大賞

世界地図入りピラミッド型

名前:宇賀 光博(64才)

住所:東京都葛飾区

1.墓石建立者 宇賀光博(64才)、喜代子(58才)
私は常に改革という事を頭に入れ、何事にも実践に生かしてきた。これからも生きている限り新しい事に積極的に取り組み、生きがいを持っていきたいと願っている。
2.墓石建立の経過
父の死去に伴い墓石を建てなければならない時がきてしまった。墓石については、前から考えていた。国内はもとより、外国(交歓会26カ国)へ出かけた際に頭の隅に入れて出かけていた。しかし、これといった形に巡り会えず今まできてしまった。
何としても墓参りに出かけて行った時に、思い出を起こさせる様な、楽しく墓参りができるようにしたいと考えていた矢先、世界の墓といえばエジプトのピラミッドである事に気づいた。(篠田石材店さんのヒントもある)
ピラミッドの築造の目的には王の墓、日時計、天文観測、タイムカプセル、テトラポットの説があるが、何といっても"ロマン"があること。
そこで篠田石材店さんと相談した結果、ピラミッドの形の墓地に決定させていただいた。
墓誌については、地球を表現し、文字を書き入れるため半球にした。もし書き込みができなくなっても、半球を左側に置く事を考えている。
3.正面の表記
私は国際親善世界子ども仲よし会(後援・東京都、講談社)の会長を務め、世界各国の子どもと大使を上野文化会館、日比谷公会堂、中野サンプラザ等の会場に招き、現在までに79回の交歓会を行ってきた。又海外交歓会にも積極的に出かけ、文部大臣のメッセージを持って26カ国以上出かけている。その意味でも世界地図を表記したいと考えていた。
地図の下には私の好きな言葉として、北村透谷「熱意」を表記した。「人生に意味あるは即ち熱意あるが故なり」の言葉を表記した。
4.左面の表記
私の経歴と学校教育で活動したマンガ絵。
東京都品川区立中延小学校校長、都校長会常任幹事、品川区立身障設置校長会長、品川区音楽部長、葛飾区立金町剣道教室主任指導員、日本陸連公認審判員、国際親善児童交歓世界子ども仲よし会会長等と表記し、その下に学校教育に特に力を入れてきた事をマンガ絵にして表記した。
私がお墓を建てた場所は、教職をとった最初の学区域である(14年間)。教え子も現在では、40代から50代になってきているが、子ども達が活躍した絵を書いておけば、墓参りに来てくれた時、きっと思い出話に花が咲いてくれるであろうと思っている。
5.右面の表記
国際親善の交歓会を行った国を(アイウエオ順)と各国の民族衣装
6.後面の表記
建立者氏名とライオンの絵。
私はどの学校へ行ってもライオンというアダナがつけられていた。そのため、まずライオンのマンガ絵を書き、その下に建立年月日と宇賀光博、妻 喜代子の名を表記した。
7.塔姿立
通常の形でなく、両側を円柱にし、上面は水のはけがよいように斜めに切った。

☆ ニューデザイン特別賞

「私たちのお墓」

名前:垣田 のりこ(56才)

住所:宮崎県北諸県郡

花立ても線香立てもいらない。子供達は、いつ参ってくれるかわからない。枯れた花が残っているより、来る途中に摘んできた野の花を一本そなえてくれればいい。やがて、風が運んでいってくれるだろう。
生きているうちに、「私たちの墓」として楽しめる明るいものがいい。雪の流れ、星の輝きも熟知の上であの世に行ける。こうして私たちは二人だけの墓を造ることにしたのでした。
墓地は素晴らしい眺めの高台にある「大楽寺」。竹篠と言う名前が好きで決めました。
住職さんも「レンガにしたい」という私たちに、「あなたたちの墓だから、好きにすればいい」と言って下さって。後は「造ってくれる人」を探すだけでした。しかし墓が欲しいといろいろな人たちに話してみても、なかなか真剣にとりあってもらえず、物好きと言われて笑われるだけでした。
ところが、まったく偶然に「墓を造ってみたい」と思い続けていた人に巡り会ったのです。その人は、一度は墓を造ってみたいが、「造りたい」人に出会わなかったという彫刻家(緒方良信氏、1948年宮崎県都城市生まれ)でした。しかも、その人の墓に対する思いは私たちの思いと同じだったのです。
「生きているうちから、行って楽しめる墓」「角角とした重たい石の、今までのデザインではない明るいイメージのもの」という私たちの話を、その人は全く驚いた表情で聞いていました。世の中にこんな素晴らしい偶然と出合いがあるのかと、夢のようでした。
「楽しみながら造って下さいね」という私たちに、「こちらこそ、楽しみながら造らせてもらいます」と、仕事場であるイタリアに帰って行きました。
果たしてどんな墓が出来てくることやら。頼んだ以上気にいらない、と断わるわけにもいかないし、かといってイタリアまで見に行くことも出来ない。連れ合いと私は複雑な思いのまま、とにかく待つことにしました。
その年の春には、植木市で山桜の苗木を買い、墓地の一画に植えさせてもらいました。20年もしたら、ここらあたりにハラハラと花びらが舞うのよね、と話しながら植えました。
やがてイタリアから運ばれた作品は白い大理石で、気高くさりげなく、それは見事な彫刻でした。そしてまたまた「偶然」に驚いたのです。それは輪廻を生涯のテーマとする緒方良信さんの、三本の水の流れのその行きつく先に、なんと桜の花びらが彫られていたのです。それはちょうど「ここらあたりにハラハラと舞うよね」と言ったまさにそこに、です。
七月七日。この日に間に合わせて設立してもらった墓には、急いで書き渡した銘版をはめ込んでもらいました。死んだ命日は刻まない。男の子二人、どこに住むかもわからない。来れる時に来てくれればいい。王楽寺はいつも花がいっぱい咲き乱れ、うぐいすもきつつきもぶっぽうそうも、時には野うさぎも遊びに来てくれる。淋しいとは思わない。
「風になれ 雲になれ 星になれ」
銘版の詩の横に、二人の名前を並べて書きました。
ところで緒方さんは、イタリアでは有名な彫刻家だということを後で知りました。始めに知っていたら、とても頼めなかったかもしれません。しかしそれを全く感じさせない驕りのない人でした。いい人に造ってもらった。いい人に巡り会えたと思います。
「私たちの墓」のつもりでしたが、これは緒方さんと、私たちが生きていたという三人の記念碑だ、と連れ合いが言いました。
今年、初めてたくさんの花をつけたあの山桜の花びらを受けて、白い大理石の石刻はつつましく王楽寺の一画に身を置いています。山寺に不思議に似合うのです。やがて8回目の七夕さまが巡ってきます。

1997年 第3回全優石ニューデザインお墓写真コンテスト

☆ ニューデザイン大賞

マラソンランナー夫婦のお墓

名前:浅井えり子

住所:東京都足立区

15年前に私が本格的にマラソンを始めてから、陸上部の監督だった佐々木功監督とは二人三脚で、ずっと一緒に競技を続けてきました。ごく平凡な選手だった私が、トップランナーにまでなれたのは、佐々木監督の存在があったからです。私たちは、国内に限らず、レースや合宿で、色々なところを訪れています。でも、二人が一番好きなのは、北海道の別海町でした。10年前に私たちが初めて、強化合宿をするようになってから、多くのチームが合宿するようになりました。佐々木監督の考案で町でもランニングコースを造ってくれ、夏は必ず、別海で過ごしていました。
監督と選手という関係から、夫婦になり、2年前、佐々木監督は半年の闘病生活の末、この世を去りました。大好きな別海へ、と言う監督の意志を育み、別海町に墓を建立しました。走るのが大好きだった佐々木監督にふさわしい墓を、ということで、デザインしてもらいました。墓地外枠柵は、陸上競技のトラックをイメージし、角を丸くし、石塔に代わるモニュメントも同様に、トラックをイメージしています。入り口両側の親柱は、表彰台をイメージし、その上に佐々木監督の履いていたシューズのレプリカを置きました。石塔の表面には、佐々木監督が生前書いた、自画像とサインを描いています。サインは足形の間に「ISAO SASAKI」と書いてあります。自画像は横顔ですが、向いている方向には、ランニングコース(監督の没後、佐々木功メモリアルランニングコースと名付けられました)があり、選手が走っているのを見られるようにとの気持ちを込めました。

参考/浅井えり子さんプロフィール

1959年、東京都足立区に生まれる。高校卒業後、長距離選手としてスタート。文京大学を卒業し、1982年に日本電気ホームエレクトロニクス(当時、新日本電気)に入社。佐々木功監督の元で本格的にマラソンに取り組み始める。1984年、東京国際女子マラソンで2時間33分43秒の記録を出し2位に入賞、一躍注目を集める。以後、日本を代表する選手として、ソウルアジア大会、ローマ世界選手権、ソウルオリンピック等、数々のビッグレースに出場。1994年3月の名古屋国際女子マラソンで国内初優勝を成し遂げる。ガンで数カ月の命と宣告を受けた佐々木監督と、1994年9月に入籍。妻として、194日間の闘病生活を支えた。(著者・浅井えり子、発行所・徳間書店、1995年11月30日第一刷「もういちど二人で走りたい」著者紹介より引用)


☆ ニューデザイン特別賞

白バイ型お墓

名前:笠松 護(62歳)

住所:北海道岩見沢市

北海道警交通機動隊に勤務していた28歳、独身の次男が、交通取り締まり中に殉職したのは1年半ほど前、札幌市内で検問中のことであった。手を振って制止する合図に、いったんは減速した犯人。しかし、何回も違反を繰り返していた相手は急発進で逃走しようとした。避ける方向が運悪く、次男は逃走車両に激突され、短い生涯を終えた。
息子の偉大さを知ったのは、実は息子が亡くなってからである。白バイ勤務であることは知っていたが、北海道を代表する白バイ乗りであることは知らなかった。94年、95年と北海道地区を代表して白バイの全国大会に出場し優秀な成績をあげていたこと、またプライベートな生活でもモトクロスのA級ライセンスを持ち、各種の大会で活躍していたことなどを後で知った。事故現場には1年中、花束やビールが山のように供えられていたが、警察の方だけでなくレース仲間が息子の霊を慰めるために捧げてくれたものである。小さな頃はやんちゃなだけに目立つ子供であったのであろう。幼稚園の先生や。小学校時代の先生までもが、泣きながら弔問に訪れてくれた。みんなに好かれ、親しまれていた息子の人柄を聞くにつれ、悲しみは薄くなるどころか、ますます強くなっていった。絶頂期の青春時代のただ中で逝った息子のために、親としてできることは息子にふさわしいお墓を造ってあげること、そしてお参りすることであると決心。生前の息子を彷彿とさせる白バイに跨るメモリアルを、彫刻家の長岡燕山先生にお願いして建立した。白御影石1個から彫り出してあり、継ぎ目はない。墓誌には警察庁長官功労賞、北海道警察本部長功労賞などの顕彰を記した。今年はここに新たに平成8年度社会貢献者賞の顕彰が加わる。今でも1週間に1度の割で、お参りを欠かしたことがない。

1998年 第4回全優石ニューデザインお墓写真コンテスト

☆ ニューデザイン大賞

斬新、赤色の御影を使った洋服型

名前:北村 憲一(55歳)

住所:石川県小松市

憲一の父が洋服仕立業で開業し、昨年亡くなった。孫の元成が祖父を偲び、父の依頼により背広を型取ったお墓、というより北村家のモニュメントとして設計した。

☆ ニューデザイン特別賞

丹頂鶴の家族をイメージした鶴保護活動家の寿陵墓

名前:佐藤 照雄(59歳)

住所:北海道阿寒郡

建立者(私)は、昭和36年から鶴の保護活動にかかわり、又、ライフワークとして鶴の撮影を続け美しい写真を世に発表してきました。自分たち家族が永年鶴に思いを寄せながら幸せに生きてこれた感謝の心を未来に伝えること、そして鶴と共に永眠したいと言う願いがこめられています。墓標は仲睦まじい丹頂鶴の家族をデザイン化したもので、下部分の黒御影石は尾羽根を、ローソクと線香立ては鶴のタマゴをイメージしています。

☆ ニューデザイン特別賞

19番ホールもあるゴルフコース型お墓

名前:七尾 紀子(24歳)

住所:仙台市青葉区

お墓は、亡くなった人だけのためではなく、家族が集い、先祖に思いを馳せながら会話が弾むような憩いの空間でなければと考えます。今までの我が家の墓は、明るい雰囲気の公園墓地にもかかわらず、コンクリートに鉄平石張りの素っ気ないものでした。そこで、両親が健在なうちに、2人がこよなく愛すゴルフをモチーフにした墓をプレゼントしようと思い、サンポウさんに建立を依頼しました。そのデザインですが、石塔をグリーンに、拝石にパターを、その下には月桂樹をあしらって、外柵は山と川に見立てました。ゴルフボールの線香立てに、ティーの形の花立てと細部にまでこだわりました。特に塔婆立てのフラッグには、「天国でもゴルフを楽しんでもらおう」という思いを込めて"19番ホール"の表示。掃除のことも考えて、地面は全面、石張りでお願いしました。
華蔵寺公園は、県内でも有名な花見スポットです。完成した"ゴルフコース"で早速、桜を楽しむことができました。構想段階からのサンポウさんの協力のおかげで、念願の楽しいお墓ができたことを、両親共々たいへん喜んでいます。

1999年 第5回全優石ニューデザインお墓写真コンテスト

☆ ニューデザイン大賞

馬蹄形石碑に馬のレリーフ、回りには家族に見立てた動物達

名前:大場 秋江(47歳)

住所:福島県耶麻郡

故人(父)は若い頃から動物好きで、騎手になりたかったそうですが、反対され、馬の装蹄師になりました。その後、牛の削蹄を仕事としてきました。家では犬を飼い、緬羊や羊を数十頭繁殖・飼育してきました。そして老後は動物たちと楽しくくらしたいというのが夢でした。その父が、70才で亡くなって、その墓は生前より蹄鉄の形にしたいとは話していましたが、一人でお墓に置くのは淋しいだろうと、好きな動物といっしょにいられるようにと考えました。その動物は子と孫の干支です。長女は卯で花立て、二女は馬で卒塔婆立て、三女は猿で入口にと、その他に、牛、卯、羊、犬。ヘビは、妻、義息子と孫、子(ね)は故人です。まわりは牧場の柵で、そこに鳥やカエル、フクロウも乗せました。父の夢だった騎手や牧場、動物園をこの墓でかなえてあげられたでしょうか…!いつでも訪れられて、お墓らしくない、こんなかわいい動物たちと故人は今何を…?!

☆ ニューデザイン特別賞

説教卓に聖書が開かれたキリスト教信者のお墓
絶望ではなく、希望の象徴としてのお墓

名前:市川 康則(49歳)

住所:神戸市北区

建立にあたり、母の心と人生の支えであったキリスト教信仰を墓石の形に反映したいと考えました。そこで説教卓の上でキリスト教経典(聖書)が開かれ、そこからイエス・キリストの復活と永遠の命が説かれていることをイメージしました。墓が「絶望」でなく、「希望」の象徴であることを、ここに集う人たちが確信するために、見開きの聖書の右頁には「わたしは復活であり、命である」、左頁に「イエスキリスト」の文字を彫刻しました。スウェーデン黒御影石使用、1999年1月建立。

2000年 第6回全優石ニューデザインお墓写真コンテスト

☆ ニューデザイン大賞

人間関係に感謝し「人」文字アレンジのお墓

名前:藤井 義光(40歳)

住所:群馬県利根郡

父の代からオリンピアスキー場近くで民宿「藤井荘」を営んでいます。早くに父を亡くし、父亡き後もたくさんのお客様や、回りの人々にお世話になり、現在も続いております。今があるのもこうした人達のおかげと感謝の意を忘れないよう、お墓に先祖供養と一緒にこの気持ちを残したく、「人」文字をアレンジして設計いたしました。建立は2000年4月。墓石はインド産赤御影石使用。

☆ ニューデザイン特別賞

香ばしい香りが立ち上りそうなコーヒー豆型お墓

名前:武本 行和(47歳)

住所:札幌市南区

父が他界したのは1999年5月15日です。全く宗教と関わることのなかった人で、一切の葬儀と香料の受け取りを禁じた遺書を残しました。
父は岡山生まれで、一生のほとんどを東京都町田市で過ごしました。しかし、墓を作る時は札幌に作るようにとも、遺書の中に書かれていました。息子である私は、すでに18年間札幌に住んでいます。親不孝のこの私に墓守をさせようとの算段なのでしょう。死んだ者のわがままは強く、まして父であればなおのこと。
さて、墓を作る時、できる限り線香の臭いから離してあげたいと思いました。父は24年間コーヒーの挽き売りで生計を立てていたので、コーヒー豆の形を思い立ち、石材屋さんに頼んだところ、快く引き受けてくれました。石は中国の職人に作ってもらったそうです。
納骨の時、ちょうど父の友人であるチェリストの、林峰夫氏が札幌にコンサートのために来ていたので、お願いして墓前での演奏をお願いしました。林氏は快く願いを聞きとどけてくれました。
参道の部分には、父に会いに来た時に、のんびりとコーヒーを飲みながら話ができるようにと、参道をやめ、石のテーブルとイスを設けました。これは大正解で、車で5分のところにある墓園におもむいては、父との会話を楽しんでいます。長居ができる形が、何よりも落ち着けて、とても気に入っています。
コーヒー豆型の石の表面には、母や姉と相談して、「珈琲人」と彫り、合わせて我が家の「姓」を彫りました。墓誌には戒名の代わりに、「初代町田コクテール店主」、裏には生前父が病床で作った句を、辞世の句として彫りました。これは石材店専務の発案です。
暇を見ては線香の代わりに、ドリップでたてたコーヒーを置き、一緒に飲んでいます。

☆ ニューデザイン特別賞

墓の前に立つと、「我が人生に悔いなし」の歌声が。しかも、バッテリーはソーラ式

名前:渡辺 仁行(70歳)

住所:福島県郡山市

私は水戸市生まれの四男なので、32年前福島県郡山市に石油会社福島フッコール(株)を設立、永住の心算で郡山市営東山墓地公園造成の2区画12平方メートルを18年前に求む。70才古希とミレニアム2000を記念し、未だ元気溌剌としているうちに、思うがまま悔いの無い明るく楽しい人生の証として、3段式とか家紋・〇〇家の墓・宗教・宗派にこだわらない普段から気楽に遊びに行けるような斬新で個性的な趣味をふんだんに取り入れた、ニューデザインを自分なりに設計し、同じイメージの石屋さんと(米国で勉強)共同で3カ月を費やし完成する。
私は趣味が多く、飛行機の操縦・射撃・スキー・水泳(師範)・剣道(初段)・カメラ・音楽・日曜大工・彫金(金工)・旅行・ガーデニング(特にオールドローズ)・色紙・油絵(300店で画集作成)・ゴルフ(年約60回)・その他
私達は普段より外国好みで、本体のモニュメントは米国製のアメリカングレーという石で、横2m35cm高さ1m50cmと洋式に横長とし、好きなゴルフを楽しんでおるところと、ドリームの字を大きく出し、日本マイクロライト航空協会の会長をしておるので、機体とキャデラックを前面に彫る、本体の両袖にはバラの花を立体的に彫り込み、此の技術が一番のハイライト。名刺受けは黒みかげで自画像をコンピューターで処理し白黒の写真をいれ、その前に立つとセンサーが働き、自分で吹き込んだ石原裕次郎の「我が人生に悔いなし」(ただし歌詞は自分でアレンジ)の歌、さらに自ら吹き込んだハーモニカで「ふるさと」のメロディが流れる(自動的に反復)ようにしました。電源は本体の裏側にソーラーを埋めバッテリーにチャージし、半永久的に使用可としました・しかし、最近面白がって訪問してくれる人が多く、使用量が増えバッテリー不足気味となったのでソーラ電池の追加を行いました。
外柵には特に好きな花、桜・すずらん・野すみれ、物置台兼椅子にはバラ(黒御影)とコスモスはアメリカのローレシアンピンクという石に扇型に彫る。花台は油絵のイーゼルを石で加工し(自作)、彫金<金工>で銅のバラを自作し飾る。本体左側の「我が人生に悔い無し」の碑は好きな石を求め、自らの手でタガネ彫りをし設置する。
又本体の裏側には「人生雲の如し されど 我が人生に悔いは無し 花あり 鳥あり 友あり そして創造の喜びと 男のロマンを求め夢み 彩とりどりの四季にかこまれ 我が青春は永遠に」と彫る。2000年2月に完成。

☆ ニューデザイン特別賞

故人の建築設計デッサンを生かした近代的なビル型お墓

名前:辺見 勝次郎(65歳)

住所:宮城県石巻市

息子は大学時代に建築を学び、東京の設計会社に勤めていました。しかし、30歳の時、事故のために亡くなりました。残された私達は、しばらくは茫然自失の状態でした。やがて遺品を整理しはじめました。その際に在学中に建物を構想し、スケッチ図にしていたものを発見しました。お墓を作る段になり、このスケッチ図を実現してあげようと思いたちました。たまたまを中学時代から親友に盛岡在住の彫刻家、高家理様がいましたんので、相談し快く引き受けてもらいました。1999年5月に完成しましたが、高家様は最後の仕上げの磨きをご自分の手作業で半年もかけて行ってくれました。本当に感謝しています。

2001年 第7回全優石ニューデザインお墓写真コンテスト

☆ ニューデザイン大賞

将棋好きの故人を偲び王将以下将棋駒ずらり揃い踏み

名前:大窪 良美(61歳)

住所:栃木県鹿沼市

私の夫は67歳で病死しました。生前は将棋が好きでしたので、お墓を作る時は誰が見てもこの人は将棋が好きだったんだな〜、とすぐにわかるように、また一人でも多くの人が夫の墓に足を止め、話し声を聞かせてあげることができれば、夫も寂しさが和らぎ、喜んでくれるのではという思いでこのデザインを選びました。なお、お墓は中国産の南平黒という黒い石を使い、盤は筋彫り、駒は浮き彫り、レリーフとなっています。


☆ ニューデザイン特別賞

両親が結婚式を挙げた教会型、あちこちにピンクのバラ、手作りのステンドグラス

名前:松坂 明希(28歳)

住所:神奈川県鎌倉市

「家族・友情の絆の確認場所」になるお墓です。23歳の妹が病死したのは今から2年前。海の見える鎌倉にお墓を建ててほしいという妹の遺言から、岩手県の山奥にある先祖代々のお墓ではなく、新しいお墓を建てることにしました。

大学の自由レポートの題材に「お墓」をテーマに研究することに決めた私は、「お墓」について調べ始め、ヨーロッパ数ヶ国のお墓を見て回ってきました。帰国後、イタリアのお墓にあったオブジェを輸入したくてイタリア大使館に問い合わせをしたところ、日本でも作っているところはあるのではないだろうかということで、聖徳大学の長江曜子先生を紹介していただき、東京ビックサイトで開催された「1999年ジャパンストーンフェアー」に招待していただきました。
展示されている墓石は、今まで見たことのなかったデザインがたくさんありました。中でも一番印象に残ったのはピンクの墓石をメインにガラス細工をあしらった素敵なお墓でした。私の妹はピンクが好きで、何よりもピンクのバラが大好きだったからです。ふと、妹にこんな素敵なお墓を作ってあげたら喜ぶと思いました。今まで思い描いていたお墓像から、「何かもっと素敵なデザインのお墓が作れるのではないだろうか。」と思った瞬間でした。それから私は展示会場を見て回った際、新しいデザインのお墓を展示している石屋さんに、どんな技術で作ったのか、一般のお墓でもできるのか、費用はどれくらいかかるのかなど、たくさん質問していました。
東京ビックサイトの帰り道、私は我が家担当の石材店さんに電話をしていました。「私と一緒に明日、東京ビックサイトに行って下さい。」いろいろな石屋さんに技術や費用を聞いても、我が家のお墓の担当の石材店で作ってもらえるかどうか、実際に担当の人に見て判断して欲しかったからです。
石材店さんに一緒に行って頂く了解をいただいて、我が家ではさっそく家族会議を開きました。私がジャパンストーンフェアーで見てきたいろんなデザイン・技術・オブジェのお墓の話をして、「こんな風にできたらいいな」と話していたことを現実に作り上げることが出来るかもしれないという期待を込めて、話を煮詰めていきました。
石材店さんと母と3人で見て回った東京ビッグサイトでは、現実的な話が出来ました。また、会場では石材店さんの知り合いの石屋さんに会うことが出来、私たちがイタリアから輸入しようと思っていたオブジェを扱っていて、カタログを送っていただけるということになりました。
23歳で若くして亡くなった妹のお墓を建てなければならないと思うと、こうやっていろんな事を調べていながらも、涙が出そうになることがたくさんありました。「なぜ人はお墓を建てるのだろう?」この疑問は、お墓を建てなければいけなくなった家族の誰もが一度は思うことではないでしょうか。お墓を建てるとなると、莫大なお金がかかります。もう、会うこともできない人のために、こんなにお金をかけても仕方がないのではないだろうかとも思ったこともあります。
しかし、「21世紀のお墓はこう変わる」という本を読んで、「お墓とは、その人の生きてきた証であり、家族、友情の絆の確認の場所である。」という私なりの答えが出ました。お墓を建て、親戚や友達が来てくれた時、友情の確認の場所になるのなら、妹らしい、そして、松坂家らしいお墓を建てたいと思いました。
我が家のお墓は、教会の形をしています。両親が結婚式を挙げた上智大学のイグナチオ教会のスタイルです。私たち家族はこの教会からスタートしたと考えるからです。この教会の水色の十字架は、特別注文して作ってもらったものです。お墓のあちらこちらにピンクのバラの花があるのは、妹の大好きな花だからです。教会の入り口のところにマリア像があるのは、マリア様に妹が見守られていてほしいという家族の願いが込められています。
お墓にはめ込んであるステンドグラスは私と弟で作りました。メインのステンドグラスの部分は、墓石に穴をあけて光が入り込むようになっています。そして、モザイク部分は祖父と何度も色合わせをして十字架が目立つようにと黄色を選びました。
お墓の裏側部分は、家族が持っている妹の印象と妹へのメッセージを刻みました。赤のマークは、妹の母校である聖ヨゼフ学園のシンボルマークです。妹のイメージカラーはピンクだったので名前はピンクを塗りました。
本来、お墓の建立者の名前は赤で書かなければ悪いことがおきるのではないかという日本の言い伝えがありますが、ヨーロッパ数ヶ国のお墓にはいろんな色を使って文字が書かれていたのを思い出し、私たち家族の名前は松坂家のファミリーカラーであるスカイブルーを塗りました。メッセージの隣のバラは母のデザインのバラです。
カロート上部には、家族が一番好きな聖書の個所「愛の賛歌」を、英文科に通っていた妹が好きな英語で刻みました。一番上のマークは「キリスト」をあらわす十字架のマークです。ヨーロッパでは天国にいけるようにと、棺にこのマークを刻むということなのでカロート部分につけました。
カロート入り口部分には、妹のクリスチャンネーム「グレース」もピンクで刻みました。左側のマークは、松坂家のファミリーマークです(この便箋の上のマークです)。Mのマークはマリアを表すマークであり、そのMの上に王冠を描いたのは、妹のクリスチャンネームがモナコのグレース王妃に憧れあやかってつけられているからです。
カロート上部の壁面には、家族全員の出身校の校章が刻まれています。家族みんなの友達がお墓参りに来てくれた時に同校出身者が校章を見て、親しみを感じることができ、友情、絆の確認ができたらうれしいと思っています。
お墓を建てる時のエピソードをいくつか書きましたが、まだまだ書ききれないほどのエピソードがありました。お墓を建てるということは、並大抵の精神力ではできません。家族を亡くした者は、悲しみを受け入れることが難しいまま、お墓という死者の証を建てなければならないからです。
しかし、いつからかこのお墓のコンテストは、私たち家族にとっての一つの目標でした。とても有意義なかけがえのない時間になりました。
お墓が完成して、コンテストに応募できることができてとてもうれしく思っています。


☆ ニューデザイン特別賞

山並み型お墓に、亡母の好きな言葉「木・空・風」

名前:田崎 陽子(38歳)

住所:島根県松江市

母の一周忌までにはお墓を建てようと思い、いろいろ見学に行きました。しかし、ほとんどの墓が同じに見えました。それでただ墓を建ててしまうのではなく、その場所に足を運ぶたびになくした人を忘れず、思い出を大切に、未来に向かって頑張る力を与えてもらえるようにとイメージした、三つの山並みをデザインに入れました。
その一つは両親の古里九州(久留米)、二つは家族四人で暮らした宮崎、そして山陰松江。墓地は大山(出雲富士)が一望できる場所を得ることができました。
母は、四季折々の自然、木、花、山野草に親しみ山々を散策しました。その母の好きな言葉は「木・空・風」でした。それを題字に刻み石種は明るいインパルレッド(本麿)。2000年12月建立。
長女は陶芸を志し、小さなお店を持ちました。その店名も「木・空・風」とし、母も子供達の発展成長を見守ってくれていると信じます。

☆ ニューデザイン特別賞

お墓でパーティーのできるように、お墓を取り囲みベンチ兼外柵のある共同墓

名前:松原 惇子(52歳)

住所:東京都品川区

シングル女性の共同住宅を考える会、グループハウジング研究会からスタートしたSSSネットワーク(NPO法人)の共同墓です。終の棲家であると同時に、生きている間に集うことができるようテーブルとベンチのデザインにしました。血縁にとらわれずに個をすがすがしく生きている女性達の美しい共同墓があってもいいのではないでしょうか。


2002年 第8回全優石ニューデザインお墓写真コンテスト

☆ ニューデザイン大賞

姉妹が亡父のために建てた可愛らしいリンゴ型お墓

名前:増田 理恵子(30歳)

住所:千葉県松戸市

姉妹二人が、亡父の好きだったリンゴをデザインした、ちょっと可愛らしいリンゴ型お墓が、「第8回全優石ニューデザイン大賞」に輝いた。今年3月に完成したばかり。完成までに模型を作ったり、1/4サイズで実際に石で制作確認したりと、石材店とともに初挑戦に苦労したが、香炉を自ら描いた葉にするなど、思わずかぶりつきたくなるようなリンゴ型お墓が完成。以下は増田さん自身によるエピソード紹介。<2002年3月故人(父)の一周忌の際に、姉妹二人でお墓を建立しました。大好きだった父のために、立派なお墓を建ててあげられたらと思い、幾つもの霊園やお墓を見学しました。「いつまでも心に残るかたち」、「父との思い出のかたち」、「お墓らしくないお墓」と思い、後を守る私たち姉妹で、どのようなお墓にするか、いろいろと思案の末、生前、父が好きだった「りんご」のかたちのお墓を創ろうと考えました。「りんご」といえば赤い色ですが、父の好きだった「りんご」は、「スターキングデリシャス」という種類のもので、紫紅色で黒光りした色というイメージがありました。そこで、「りんご」の石種は赤い石ではなく、黒御影石(スウェーデン産ファイングレー)を選びました。私たちのイメージ通りのお墓をつくるため、原寸大の木の模型や図面を作成したり、黒御影石で実物の4分の1の模型をつくってもらったりと、私たちの思い描いた理想のお墓を創るために、石材店さんには、大変な無理や苦労をしていただきました。「りんごのお墓」は父の一周忌まじかに完成しました。父も自分の好きな「りんごのお墓」で、眠ることができ満足してくれていると思います。香炉の葉は、姉のデザイン画を彫刻したものです。>

☆ ニューデザイン特別賞 楽しい旋律が流れてきそうな音符、鍵盤付きピアノ型お墓
名前:浅川 サク(70歳) 住所:群馬県富岡市
グランドピアノを横に立てたような黒い墓碑に、鍵盤と音符が刻まれたピアノ型お墓が、「第8回全優石ニューデザイン特別賞」に選ばれた。音符は小学校などで歌われる「大きな古時計」の一節。また、お墓に「寿」の文字が刻まれているが、お墓の前に立つと楽しいピアノの旋律が流れてきそうだ。御影石を磨いた部分は黒く、彫った部分は白く対照的なコントラストを表現する。以下は淺川さんのコメント。<夫は音楽の教師でした。一生涯音楽を愛し、生活のすべてが音楽の世界でした。音楽記号の代わりに「寿」の文字を使い、よく手紙を書いていました。今回の建墓に際し、子供たちがデザインに積極的に参加してくれました。ピアノの鍵盤も気に入っています。> 

☆ ニューデザイン特別賞 墓碑に「海」の文字と跳躍するイルカ
名前:野澤 満(51歳) 住所:熊本県荒尾市
イルカをテーマにしたお墓はこれまでも入選したことがあるが、魚屋さんが墓碑に「海」の文字、手前に海面を元気にジャンプしようとしているイルカの上体と尻尾をオブジェとした野澤さんのお墓が「第8回全優石ニューデザイン特別賞」に選ばれた。お墓の手前は海、波をイメージし、2枚の大きな白っぽい御影石を使い、磨きとたたき(ビシャン)でコントラストを出している。野澤さんのコメントは<昨年2月に、家を建てた時から一緒に暮らし始めた妻の父が亡くなりました。これを機に、先々私どもも入るだろう墓を建てることにしました。私は魚屋を営んでおりますので、それにつながる墓をと思い海とイルカで造っていただきました。シンプルで穏やかで、笑のあるすばらしい墓に、私共と亡き父も、満足しております。>

☆ ニューデザイン特別賞 グリーン、パター、ウッド、キャディバッグ等ゴルフづくしのお墓
名前:國分 亮子(54歳) 住所:栃木県宇都宮市

中央にパッテインググリーン、両脇の花立はちゃんとディンプルもついたゴルフボール型(大理石製)、塔婆立てはキャディーバック、パターもあって、外柵はウッド型と、ゴルフづくめのプロゴルファーのお墓が、「第8回全優石ニューデザイン特別賞」に選ばれた。あの世でも好きなゴルフに興じている姿が彷彿とし、残された家族にとっても訪れることが楽しくなるお墓の好例である。国分さんのコメントは<プロゴルファーで、ゴルフ一筋の人生だった夫のお墓は、なんとかゴルフをイメージするものにしたいと思い、家族で考えてみましたが、花立てをゴルフボールの型にすることと、ゴルフクラブを浮き彫りにするということしか思いつきませんでした。そのような時に巡り会った石材店さんが、私共の思いを察して考えて下さったのがこのお墓です。石碑にはトロピカルグリーンという石を使いパッテインググリーンにして、塔婆立てはキャディーバックを型どり、そこにパターを立てかけたように浮き彫りになっています。外柵はクラブのウッドのような型に仕上がり、大変満足しております。夫はゴルフ教室にも力をいれておりましたので、お墓の前に立っておりますと、ゴルフのレッスンをしながら、コースを回っている夫が今にも現れて来そうな感じが致します。>

☆ ニューデザイン特別賞 ミニ花壇付き、タバコ好き亡夫のための灰皿付きお墓
名前:坪田 登美子(48歳) 住所:愛媛県松山市
亡くなった人の好きだったものを、という願いは古今東西変わらぬ人の情であろう。坪田さん応募のお墓は、墓前に御影石製の灰皿付き。しかも、マンションのベランダで育てた花々をお墓の周囲に設けたミニ花壇に根付きで植えられるようにという配慮のモダンなお墓が特徴、<48 才の若さで病死した主人のためにお墓をつくるにあたって、先ずは墓地探しから始めなければなりませんでしたが、その際、数年前にハワイに旅行したときに主人と二人で訪れた、緑に囲まれた公園墓地のシンプルなお墓のイメージが鮮烈な記憶として蘇りました。今回お世話になった石材店の担当の方に家からほど近い霊園に格好の場所を確保して頂き、墓石のデザインについては、「マンション住まいの私たちが、ベランダで育てている花を、主人の側にも同じように置いてあげることの出来るお墓を…」という想いを石材店の担当の方に伝え、子供たちと相談した結果このようなお墓となりました。担当の方にお願いして、タバコが好きだった主人の為に墓前に灰皿をつくって頂いたのですが、後日それと同じものを長男が欲しいと言い出し届けていただくなど、主人が亡くなってもうすぐ一年となりますが、今でもこのお墓のお陰で亡くなった主人と共に家族が皆、同じ空間を共有していると実感しています。>

2003年 第9回全優石ニューデザインお墓写真コンテスト
☆ ニューデザイン大賞 豪華な応接セットのある自宅居間を忠実に石で再現したお墓
名前:菊池 進吾(28歳) 住所:静岡県榛原郡
梱包会社を創業し、50代で亡くなった父親のために、息子が一生懸命に作ったお墓。それが全優石ニューデザイン大賞に選ばれた菊池さんのお墓である。父親が最もくつろぎ、好んだ革張りのソファーのある居間を忠実に石で再現してある。中央にはテーブルも用意され、お墓参りに訪れた人が、ゆっくりと故人と語り合える。菊地さん自身のコメントは以下の通り<父親が一番好きな場所は、どんなに疲れて帰ってきても居間がとても好き。それは、家族が集まり、いろんな人々と談笑する、父が一番安らぐ場所であった。墓地に再現できないかと石屋さんに相談しました。黒御影石を使用、実際の寸法で何もかも再現しこの居間を永遠に残したいと思いました。2002年9月に完成。父の名は小田昇夫 母の名前優子も彫刻しました。ずっと2人でいられるよう・・・。>

☆ ニューデザイン特別賞 石の加工精度、施工精度を徹底的に追求した完成度の高いお墓
名前:伊東 誠(48歳) 住所:山梨県甲府市 
一級建築士事務所(工務店)を経営する伊東さんは、自ら図面をひき、工事に立会い、十分納得のいくお墓づくりを実行した。精緻を極めたとでもいえる完成度の高いお墓で、将来の地盤沈下や天候による風化等に対しても十分な配慮を行っている。伊東さん自身のお墓作りのコンセプトは以下の通り。<お墓のデザインははじめてである。一昨年亡くなった父の墓である。こころを継ぐ営業を生涯やってきた人であった。工事期間は約4週間もかかり、お寺ではいったい、何時までやってんのといわれた。

この単純明快な造形は、自然と周囲の環境を映しながら、透明度を感じさせてくれる。石材の組み合わせはその単純さゆえに施工上の難易度がかなり高いのである。鏡のように磨か磨かれて並んだ石は、石材の加工精度と限りない施工精度を要求してくる。水平垂直はもちろんのこと、並びの微妙なズレは、そのまま映り込んでくる環境と風景を崩してしまう。遠くにあればあるほどその差は大きくなり、設置する石の加工精度と施工精度を限りなく要求してくる。

太陽光、気温などからくる熱変形と並びのズレが将来におこらないよう、また雪、水の侵入などの配慮も考えてある為、施工期間は30日に及んだ。見せ所は、石材の加工精度と現場の職人の石組みの腕である。技術的配慮は、地盤の沈下を想定し、墓石は地盤を均等に沈下させ地震の対策は石組古寺建築の基礎に見られる手法を採用した。(三十三間堂)

だれもこんな形をつくらないので、自分の家の墓石で実現させた。作品名曼陀羅は仏教の宇宙を表している。全体にお墓を低くし、訪れる人の目線を下げるようにしてある。>


☆ ニューデザイン特別賞 愛煙家の亡夫のために「マイルドヘブン」型お墓に
名前:高杉 博子 住所:横浜市金沢区 
喫煙者にとっては肩身の狭い世の中になっているが、愛煙家の亡夫のために「気兼ねなく好きなだけどうぞ」という高杉さんのお墓が特別賞に選ばれた。<夫のお墓はマイルド・ヘブン。既成概念を打破した新しいお墓作り、21世紀を見つめた未来志向型墓石を次世代へのメッセージを込めて建立しました。亡夫がこの世で2番目に愛していた煙草、愛煙家であった夫の供養にと、煙草をモチーフにしたお墓づくりを思い立ちました。先ず、最初に浮かんだアイデアは香炉を灰皿に見立てることでした。吸いかけの煙草を一本置き、線香の煙が煙草の煙に見えるように工夫しました。次に花立てには愛飲の缶ビールをイメージしました。愛用のビール・グラスは水入れにし、更にライターもあれば喫煙に万全と、実用面も兼備して燭台としました。そして最も思い入れをしましたのが墓石本体でした。夫が常時喫煙しておりましたマイルド・セブンを忠実にデザイン化しました。氏名や享年など文字・数字の字体の選択にはとりわけ苦労しました。そして何よりも極めつけは天国の夫に届くように箱から二本の煙草を出したところです。墓石と一体の石で、フィルターが飛び出しているように彫刻してあります。その名もマイルド・セブンならぬマイルド・ヘブン。この私の思い入れが天国の夫に届いてくれますようにと願っています。
夫のお墓づくりは墓地選びから始まりました。東京・神奈川の周辺地域の主要な寺や霊園を見学して回り、決めましたのが鎌倉の浄妙寺でした。鎌倉五山の名古刹でありながら、お茶室喜泉庵やイタリアンレストランに手つくりパン工房、ハーブ園など新しさと古さが同居した素晴らしいお墓です。昨年大晦日のNHKテレビゆく年くる年では作家五木寛之の案内で実況中継されました。そんな安住の地を得て夫も喜んでいる事と思います。>

☆ ニューデザイン特別賞 センターラインでテニスコートを模したフランス風お墓
名前:原 浩男(60歳) 住所:長崎県西彼杵郡
フランスで交通事故死した息子のために、好きだったテニスが思う存分できるようにとテニスボール、センターラインをしつらえた原さん応募のお墓が特別賞に選ばれた。疲れたら休めるベンチも設け、夭折した息子を鎮魂する。<息子、雄一郎は、会社からの語学留学で2001年7月に渡仏し、9月には嫁を呼び寄せ、パリで新婚生活を始めました。年末の休暇を利用して、嫁と二人で12月30日にパリからモンサンミッシェルへ旅行中の交通事故により27歳で夭折しました。高校からテニスを始め、大学でテニス部の主将になることを目標に生活の全てをテニスに傾け、夢も適い充実した学生生活でありました。入社後の伊丹でも、またパリでの忙しい生活の中でも暇を見つけてはテニスに親しんでいました。このような中での、余りにも突然の出来事で胸が張り裂ける思いでした。告別式、七七日忌、初盆精霊流し、1周忌など東京や大阪から多くの方に参列していただきました。次はお墓を建てねばと、市内の全優石の看板を頼りに石材店を訪ね、相談を重ねる中で「思い入れの墓づくり」を紹介いただき、本を読み進める内に、1.息子を偲ぶモニュメントを 2.若者にふさわしい明るいイメージで 3.フランス様式のデザイン にコンセプトを定め、改めて3回フランスへ出向き、モンパルナス墓地や石材店などを回り、家内と娘の3人で、デザインしました。
墓碑:正面の二つのモニュメントは、息子 雄一郎が家族或いは友人と対面し、語り合っている姿を表現しました。モニュメントは、息子が生涯愛して止まなかった白線を模したテニスコートの上に建ち、向かって右側のテニス球を使用して大好きなテニスを天国でも心行くまで楽しんでくれることでしょう。テニスの後は、趣味の読書で疲れた身体を休め、ゆっくりとした時を過ごせるようにベンチと本を整えました。左側の地球儀には生誕の地の日本と、夭折の地フランスを記しました。碑文:息子、雄一郎が出会い、育んでくれた人々への感謝の気持ちをフランス語で表しました。Jai deja uve〜 私が今までに出会った人/et don’t je me souviensそして、今も私の記憶に残る人/Merci! 有難う!beaucoup.本当に>

2004年 第10回全優石ニューデザインお墓写真コンテスト
☆ ニューデザイン大賞 あの世に届け、メッセージボックスのポスト付お墓
名前:加藤 隆(51歳) 住所:埼玉県さいたま市
昨年、息子「大治郎」が?otoGP第一戦日本GP決勝レースで帰らぬ人となりました。後にご縁あって妙円寺様にお世話になり、この地にお墓を建てることになりました。
お墓造りに際し石屋さんには先ず「想い」を聞いてもらいました。幼少期のポケバイからミニバイク時代のエピソード、後のヨーロッパでの活躍、レースに送り出す時の親の心情、自分のお墓観、家族観等々、幾度かの打ち合わせを重ね、提案を頂き納得のいく図案が出来上がりました。
石碑には故本田宗一郎さんのお墓と同じ「庵治石」を使用することに決めましたが、「庵治石」がどの様な石かを知りたくなり、石屋さんと同行し香川県の庵治町まで出向き、山の丁場から加工工場、完成したての注文石碑を見学してまいりました。その際、彫刻家三枝先生の作品と出会い、「大治郎」のレリーフを造っていただくこととなり、庵治石の屏風にはめ込んで頂きました。レリーフの製作では素材になる写真の選定から粘土・石膏モデルの確認、石工職人さんの最終仕上げまで、アトリエや工場に石屋さんと共に何度も足を運び、完成の暁には施工工程の写真記録集まで頂き大変嬉しかったことは今でも忘れません。
一尺角の庵治石には品格のある風合いと、堂々とした存在感があり、大変気に入っております。
また、生前大治郎が大勢のファンの皆様に応援をいただいていたことから、いつでもお花を手向けていただきたく大き目の献花鉢と、メッセージボックスのポストを設置しました。
一周忌を終えた今でも多くのファンの皆様にお参りいただき、お花が絶えることがなく、感謝の気持ちでいっぱいです。今回、お墓を造るにあたって多くの人と心が通い合うことができ、その人柄や、優しさ、熱意に触れることができましたことは仏様のお導きであると感じるとともに、皆様には心より御礼申し上げます。

☆ ニューデザイン特別賞 地球儀の太平洋上に「旅」、今でもきっと世界周遊を楽しんでいるはず
名前:三澤 みどり 住所:静岡県駿東郡
平成15年3月に夫が亡くなり、同じ年の12月に建立しました。65歳でした。遺書には3ページに渡り墓石デザインが描かれていました。それは細部にまで指示があり、夫の墓石に対する想いを感じ取るに十分なものでした。墓石を自分の生きた証として残したい。そして、大好きだった旅をこれからも続けたい。世界中を自由に飛び回る…そんな夫の想いが十分に伝わりました。亡き夫の想いを叶えたい。石材店に相談し、夫が描いたデザインをベースに、幾度となく打ち合わせを行い、太平洋上に夫の愛した「旅」の一文字を配した地球儀という形で具現化いたしました。建立してから何度もお参りししていますが、夫は自由に、生き生きと旅を楽しんでいるのだろうと思います。いずれ私も旅の道連れにと思っています。

☆ ニューデザイン特別賞 ぽっぽ屋のお墓はやはり機関車型
名前:漆原 鶴子 住所:神奈川県相模原市
主人は18歳で国鉄に入社し、車掌の仕事をしながら34年間、鉄道一筋の人生でした。在職中の去年、病気でこの世を旅立ちました。52歳でした。主人の部屋に残されているものは、本、ビデオ、その他、SL等、鉄道や電車に関係するものだらけです。お墓を建てる、と思った時、一人娘に相談すると「お父さんは真から電車が好きだったのだから、墓石に電車の絵を描こう」と提案しました。これをきっかけに娘と相談して決めたのが、「いっそお墓の形をお父さんの好きだったSLの形にしよう」です。石材店さんにも希望を聞いてもらい見事完成することができました。今頃はきっと、車掌となり、時には旅人となり、SLの旅を満喫していることだろうと思います。
平成16年3月31日完成。

2005年 第11回全優石ニューデザインお墓写真コンテスト
☆ ニューデザイン大賞 釣りキチお墓は、大物魚のお墓にクーラーボックスや長靴など釣り道具
名前:森 美智子(59歳) 住所:大阪府守口市
生前主人は魚釣りが大好きだった。天国でもずっと続けていけるようにという思いと、人が集るのが好きだった陽気な主人にふさわしいお墓づくりを心がけました。このお墓なら、多くの人が「あっ、魚だ!」と言って寄って来てくれるだろう。寂しくないだろうという願いで、石材店さんと何ヶ月もかけてつくり上げました。魚は一応スズキをイメージしています。納骨は2004年10月でした。向って右側のクーラーBOXの上には、主人から御参りに来てくれた方への感謝の気持ちを刻み、釣りざおの後ろのタモには釣り友達が来た時の為に「釣り行ってるかぁ どうやぁ 釣れてるかぁ」と刻んであります。
また水入れが帽子で、線香立てが懐中電灯、花立てが長靴になっています。
帽子に刻んである「TOTO」とは、生前から娘が魚の「おとと」と父の「とと」をかけて、「とと」「とと」と呼んでいたので、家名の「森」ではなく「TOTO」と刻んであります。ユニークさでは負けないので、どうぞこの写真を見て一緒ににっこり笑ってやってください。

☆ ニューデザイン特別賞 映画カメラマンのレンズのついたお墓
名前:篠田 いずみ  住所:東京都練馬区
昨年の6月に主人は52才で亡くなりました。「世界の中心で愛をさけぶ」。この素晴らしい映画が、主人篠田昇の最後の作品になりました。昨年の大ヒットで純愛ブームを巻き起こしたこの作品には、主人の視点がレンズを通して生き生きと美しく描かれています。
お葬式には、いつも主人とともに映像を通して感動を与えているたくさんの友人たちによって、彼らしく見送って頂きました。私は、悲しみの中にありながらも、みんなのこんなにもたくさんの温かい愛を感じて感謝の気持ちでいっぱいでした。
四十九日が過ぎてそろそろお墓のことを考えた方がいい・・・と言われてもピンとこなかったのですが、主人の兄から親戚に石材屋さんがいて相談に乗ってくれるから、と言うことで石材店を訪ねることになりました。
撮影監督、カメラマンの「篠田昇」を感じられるお墓ができたらいいな・・・そんな漠然とした希望はありましたが具体的なイメージがあった訳ではありません。色々な種類の石やデザインの説明を受けていた時、一枚のリーフレットが目にとまりました。“庵治石”・・・「この庵治は、四国の庵治ですか?」「あー、そうです!『世か中』(映画の略称)の舞台になった庵治ですよ。最高級の石で有名なのですよ。」これには深いご縁を感じずにはいられず、「この石がイイです!」といったものの、何しろ最高級の石、とても高価なもので、お話を聞いていくうちに、難しいかな・・・という気持ちになりました。でもどうしてもあきらめきれず映画の舞台になった土地なら「世か中」の監督、行定勲さんに相談してみようと思い立ち話してみると、なんと主役のサクちゃんの家のロケ現場が石屋さんだというのです。早速連絡をとらせて頂き事情を説明して、それから程なくして私が石を探しに四国へ行くことになりました。四国の香川では、心優しい石屋さん一家が大歓迎してくださいました。そして私の話と、ロケ中の主人から受けた印象などからイメージして、「絶対イイものをつくる」と約束してくださいました。後で聞いた話ですが一緒に庵治石の石材置き場に行った時に、「この石、何だか丁度いいみたい・・・」と何気なく私が言った石が、結局使われたということです。まさに主人のお墓作りの原動力はいつも“ステキな出会い”でした。人との出会い、石との出会い、土地との出会い・・・。いつも仲間を、人とのつながりを大切にして生きてきた、主人の人柄を象徴するような体験でした。
百カ日法要に間に合うようにと、太田さん彫刻家の方には大変な無理をさせてしまいましたが、出来上がった作品は(これは単なるお墓ではなくて作品です!)、予想を遙かに越えて素晴らしいものでした。カメラマンの主人がファインダーをのぞいているイメージを凸の形で表現しています。お墓を訪れた人は被写体になったようで、お墓の後ろから主人がこちらを見ている感じがするのです!そして自筆のカメラマークのサインが彫り込まれています。シンプルでセンスのいいデザイン、庵治石の特徴を生かして磨きをかけた部分と、自然な石肌を残した部分がバランスよくとけ込んでいて・・・出来上がった写真を見せて頂いた時には、感動で涙が溢れてきました。
百カ日に、友人たち80名に見守られる中、主人の納骨が行われました。来てくださった方々が口々に「篠田さんらしいお墓ですね」「お墓ってこんな風に作ってもいいんだ」「何だか落ち着くからまた来ます!」そんな言葉を伝えてくれます。そこで、お墓に設置したポストの中にノートを置いてみんなのメッセージを残せるようにしました。
あれから7ヶ月が経った今でも、主人のお墓はいつもたくさんのお花で満ち溢れています。主人の母や兄が毎日訪れてくれるのはもちろんですが、主人を慕っていた多くの友人たちが、次から次に来てくれるのです。仕事のことや自分自身のこと、レンズの向こうの主人に語りかけて、気持ちを整理しているようです。私にとってもここはそんな場所になっています。いつもお墓参りの最後はこう締めくくります。
「ありがとう。昇さん。これからもみんなの幸せを見守っていてね!」

☆ ニューデザイン特別賞 死への恐怖心も薄れる機関車型お墓
名前:関根 康(51歳)  住所:東京都八王子市
2004年8月に出来上がりました。公営の霊園が中々当たらず諦めかけていた時に当選し運命を感じます。奇しくも13回忌の年でした。お墓は12歳で逝った息子が、赤ちゃん時代からずっと好きだった電車の形を石碑としました。以前ニューデザイン墓石コンクールで見たお墓を参照に、花立ても、香立ても無い代わりに両脇を花壇にしたシンプルな物にしました。年に2回程度植え替えるだけで、いつも花に囲まれた綺麗なお墓になり、汚れも少なく管理がとっても楽です。子供なのでおどろおどろしいお墓は怖がると思い、明るい可愛いお墓にしたかったので満足しています。電車の大きさや置く角度等に試行錯誤して、石材店さんも大変だったでしょうが、イメージ通りに出来上がり感謝しております。私達もいずれ入るのでしょうが、『死』への恐怖心が薄れてお墓に入る事が怖くなくなりました。

☆ ニューデザイン特別賞 パーシモンのゴルフクラブにボール付、ゴルフ型お墓
名前:岡田 英晃(32歳)  住所:大阪府大阪狭山市
11年前に他界した父の為に10年前に建てました。父は平成3年に直腸ガンが見つかり、手術をして人口肛門になりました。1年後に肺に転移が分かって治療もしましたが、手術ができないと言われました。好きなゴルフをできるだけ長くしたいという本人の希望からホスピスを探し、入院をするようになってからも、調子の良い時は呼吸器をはずせるので、食事ができなくても点滴をしてもらって出掛けて行っていました。そこまでゴルフが好きだった父のことを思い、パーシモンのクラブが好きだったことから自分でデザインし、石屋さんに色も指定して造って頂きました。

2006年 第12回全優石ニューデザインお墓写真コンテスト
☆ ニューデザイン大賞 競馬好き夫のために馬の夫婦レリーフ入りお墓
名前:神谷千明(58歳)  住所:大阪府岸和田市

本当に好きだったんですね、競馬を。人生の幕引き間際まで競馬の予想をし、毎週土・日は電話投票で買っていましたね。昨年8月1日、40年近くの競馬歴に終わりを告げようとは想像もしませんでした。
今もあの時の予想メモをとってありますよ。あなたは携帯電話で番号を打つが思うように打ち込めず、私と兄に打ち込むようにと。二人とも必死で試みたものの何せ初めてのこと、携帯で馬券が買えるなんて思ってもいなかったし、どうして打ち込めばいいのか、あたふたしている間に締め切りの時間が刻々と。ついに見かねたのか、自分で番号を押し始めた。個室とはいえ院内での通話は禁止。気が気でない私たちを尻目に何とか買うことができた。
全エネルギーを出し尽くしたのか、その夜から酸素マスクに。しかし私たちの心配をよそに、「今から、野口聡一さんのように宇宙遊泳に出発」なんて冗談を言いながら深い眠りにおちいりました。これまでか、と覚悟を決めていたが何とか持ち直し、いきなり「お墓のデザインを頼む」と言った。そして、最後に言っておきたいことがあると「ありがとう、愛しているよ」と言って、大空に向かって風のように舞い上がって行きました。
馬好きなあなたにプレゼントをと、二人をイメージして描いてくださるよう依頼した馬の夫婦の油絵。作家さんからは今から描くので6ヶ月かかると言われたが、絵を見るまでは必ず生きていてくれると、自分に言い聞かせ内緒で注文。しかし。馬の絵を見ないまま、あなたは手の届かないところに行ってしまった。あなたの口癖「上からいつも見ているからね」に、「どうして、私を見つけられるの」と聞くと。だって、「チッチは可愛いもの」というような団塊時代の夫婦ではありましたが、新婚時代から、お互いにマッチ・チッチと呼び合いいつまでも、少年の心を持ち続け最後の最後までロマンある言葉を残し、又「自分は上手には生きられなかったが、死ぬ時は上手に死にたい」と本当に素敵な最期に拍手を送りたくなりました。
最期の約束を守りたくて、墓石のデザインを何回も打合せをしながら思うのは、馬のことばかり。結局馬の夫婦をイメージして描いて下さった絵を、レーザーで墓石に彫り込むことに決めました。あなたの最後の言葉「ありがとう、愛しているよ」を私の字で彫りこむことにした。そして「お参りありがとう」も。私にとってはこれから、癒しの空間になるであろう大切な場所です。
今年は第12回目となるニューデザインお墓コンテストに、応募してみようかと思ってますよ。「一人になっても相変わらず楽しんでいるな」と苦笑していることでしょうね。4月4日の月命日。満開の桜に囲まれた墓地公園で、心地よい春風に吹かれながらのお披露目となるでしょう。


☆ ニューデザイン特別賞 蓮池に浮かぶ蓮の葉と雫型お墓
名前:藤井敏雄 (60歳)  住所:宮城県石巻市
家を新築しようと家族で計画している時に、父親がなくなくなりました。お寺の和尚様の助言で、お墓も同時進行しようと心に決めました。市の霊園を確保し、また友人のご子息が若手の彫刻家でしたので、「従来の形式に拘らず自由に」ということで相談し、引き受けて頂きました。墓石本体は蓮の葉と雫。手前左の蓮の実となる部分に献花台。連華の蕾と見立てた桃色の石は戒名碑です。伊達冠石による敷石は蓮沼をイメージし、後壁は蓮の葉の群落をイメージしたものです。市の霊園なので、高さや幅等厳しい条件がありましたが、国産の原石を多用し、制作は時間をかけて手作業で仕上げていただきました。友人の彫刻家には敬意をもって感謝いたします。

☆ ニューデザイン特別賞 蓮池に浮かぶ蓮の葉と雫型お墓
名前:辻村 一宏 (31歳)  住所:静岡県榛原郡
「踊りが好きだったお母さんへ・・ありがとう」
いまだに信じられません。踊りが大好きで、着物姿で元気に踊っていた事を昨日の事のように思い出します。亡き母を思い、生前一番の楽しみであった踊りと共に・・・と石材店に相談して建てました。「扇志穂」という踊り名を受け、踊る際、いつも手にしていた扇子を両側面に再現し、着物を纏い舞台で踊っている様なイメージとなりました。ふたつの白い石は、舞台照明という意味と2人の子供(自分と妹)を兼ね、いつも傍らで見守っていてほしいという願いを込めました。また花筒の手前には、生前母の書いた「ありがとう」という文字をそのまま彫りこみ、「お母さんへの感謝の気持ちを忘れずに・・・」という父の願いを込めました。